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「中邑vs棚橋」
これで客が入らないなんて。


>>>ネタばれ、?ってもう結果は知れてる試合ですが。




>>>んで、平成の「前田vs藤波」戦と言われた決戦!結果を知ってるのを引いても、今回は中邑が上回ってた。

>>>「おもしろいか、ツマラナイか」を価値基準に置く棚橋が自分の好みなのだが、「まさにUWF!(第二次)」と山ちゃんに言わしめた中邑の打投極を今風の総合ぽくアレンジした攻撃が棚橋のアメプロ+新日本流を凌駕した。

>>>勝った中邑は好きにすればいいが、(投げやり)まあ、シリアス路線で「刃牙」ってくれればいい。なんか「親(神)殺し」狙いを含めて似てきた。

>>>キャリア的には上の棚橋がチャラ路線を捨てて倒す意味は薄いし(それで勝ってもポリシー的に降ったことになる)、ここでどう次の展開を考えるかが肝要。
?個人的予測では1・4ドームで早々リカバリーがあるような感じもする。中邑はフロントに邪魔くさいと思われてる節もなくはない。

>>>結局、俺達の時代・闘魂三銃士・第三世代が各団体にバラけたのは、トップは切磋琢磨出来ても共存は出来ないというわけで(それ以外の事情もあるが)中邑・棚橋のどちらかが新日本を出る、・・・かもしれない。
我々は今このふたりが同じ団体で戦うのを見られる幸運な季節にいるのだろう。







>>>「あれ?真壁は?」・・・・「これが、現実だっ!!!!」(没)






















「地味に痛ぇ、」
11月17日(火)からスタートする、TBS秋の新番組「お茶の水ハカセ」にあの “暴走キングコング”が登場!!

>>>なので、見たが「アリの恐怖」がテーマで、道場でシロアリに噛まれてリアクションする役というまことに笑われ用員でした。

>>>最近新日本プロレスがメディア露出展開してる一貫だと思うが5分くらの出演で「以上、枝葉でした」とさま?ず三村に言われてた、・・・・・。
「これが現実だ!!」と最近言わないなあ、真壁は。




>>>次回は、終了番組「キミハ・ブレイク」に出てた超弩級デブ女再来。(蛇足)









K-1GP開幕戦。
反日国家で武蔵負けた。

>>>コネで?K-1に何度も出てた武蔵がボロ負けでした、は?、あのタラコくちびるの無類の適当ファイターにはさっさと消えて欲しかったんで安堵。
あ?、「となりの格闘王」(笑)佐竹雅昭とか今どーしてんの?

>>>無駄に引退を美化するフジは男子アナをレイプ魔に育成する機関だと実話系写真誌にあった。(無関係)
?でも、全然引き止めないのね(笑)負けた瞬間に引退X10と叫んでた!!
商品価値もなし、数字も取れないし、前科モノ館長も不用品を切ったな多分。
















・・・・・・。
「ざ(以下削除)」

百田、ノア新体制に不満爆発
7月13日8時0分配信 スポーツ報知

 三沢光晴前社長(享年46歳)の急逝に伴い発足したノアの新体制後初の興行が12日、後楽園ホールで行われた。前副社長で7日に辞表を提出し、10日に正式に受理され退団が決定した百田光雄(60)が現れ、フロントへの不満をぶちまけた。
 約50分に及んだ緊急会見では社員の実名を挙げて批判。「フロントに文句を言いたい。試合があってプロレスが成り立つ。選手主体で考えるべき」と怒りをあらわにした。小橋建太副社長(42)らの慰留にも「(相談役に退き)意見が言える立場でなくなった。中途半端に残ってもしょうがない」と脱退を決意。ノアにとっては新体制になって早々、不安の船出となった。
 【関連記事】
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2万6000人が「三沢さん、ありがとう」…お別れ会
三沢光晴 、 後楽園ホール 、 百田光雄 を調べる
最終更新:7月13日8時0分

田上社長のノア 役員会は“かん口令”
7月11日9時36分配信 デイリースポーツ

田上明社長(48)率いるノアの新体制が発足後、初めてとなる役員会が10日、都内の事務所で行われた。関係者には“かん口令”が敷かれ、ピリピリした雰囲気の中、新たな発表はなかった。
 異例の2時間半の長い会議後、事務所を出た小橋建太副社長(42)は「何もないよ。写真は撮らないで」とだけ話した。田上は「ちょっと(どいて)」、丸藤正道副社長(29)は「何もないって」、森嶋猛取締役選手会長(30)も「何もない」と、一様に口が重かった。団体広報は「会社として発表することはありません」とした。
 7日に新人事への不満を理由に辞表を提出した、百田光雄前副社長(60)の処遇などが議題に挙がったとみられる。ある役員は「色んな話があったけど、皆で『何も話さないように』と言ってある」とかん口令の存在を認めた。「もうすぐ後楽園大会(12日)じゃないですか。そういうのはマイナスになるんでシークレット」と続けた。
 新シリーズ開幕前に、“お家騒動”を取りあげられたくない思惑があったようだ。役員会後、田上は丸藤、森嶋と車に乗り込み、スポンサーへのあいさつに向かった。体制が落ち着くまで、まだ時間がかかりそうだ。
【関連記事】
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・ 三沢光晴さんバックナンバー
最終更新:7月11日9時58分

>>>えてして、絶対的トップが去った後はこんなことになるのは歴史が証明してる。銀英伝的に言えば
「人は制度に従うのではなく人に従う」
のだということか。

>>>ただ、皮肉なのは馬場夫人との確執から産まれたノアが、三沢さん後に大株主・三沢夫人の意向に添って(週プロ記事)百田さんが反発した新人事が行われたこともまた歴史の諧謔というべきなのか?

>>>今回の危機は実は会社を近代的に改革する機会だったのだが結局選手が社長になってしまった。プレーイングマネージャーと言えば聞こえはいいが会社規模が中小レベルだから機能する旧態依然の極みだ。
ビジネスモデルとしてのプロレス会社社長=選手という力道山時代から続く形式はメジャー級団体では破綻してて、トップ交替が続いた新日が今は営業畑の社長になりそこそこ成功してることからも解る。(WWEとか完全にフロント支配)
全日は実は絶大な武藤人気に支えられてるんで、万一があればノアと同じ危機を迎えると思われるが、そこまでファンが心配することではない。提言はすべきと思うが、

>>>「レスラーはレスラーにしか従わない」という現実と選手だけでも興行打てるという事実が業界を拡散させている。
メジャーの既得権益だと言われようがメジャーが協会を作り安定した興行と選手の管理を行わなければ、大黒柱の死からすぐにベテランの離脱という、「あの涙は何?」的な虚しい話は続くやもしれない。

>>>また、腐ったプロレスマスゴミもスキャンダル好き体質は捨てないと、いくらなんでもこの時期に「自分の意見が通らないからヤメル」人物を相手にするような愚行はターザン山本でもしなかった?ぞ。
(百田さんにも異論はあろうが、外部から見た事象からはこう思わざるを得ない)

>>>蛇足、まことに「プロレスは人生の全てを学べる」というのは真実かもしれない、凄い皮肉だが。























追悼特別番組。
プロレス界の盟主 三沢光晴 追悼特別番組
三沢光晴さんの功績を偲び、当日のお別れ会や数々の激闘・名勝負を紹介いたします。
本日2万6千人が訪れた「お別れ会」の様子を即日放送いたします。小橋・健介・蝶野・藤波・曙らの追悼インタビューも紹介。また三沢選手の過去の激闘・名勝負を、生前の秘蔵インタビューとともに振り返ります。全日 本時代からは、J鶴田戦・ハンセン戦・川田戦・2年連続年間最高試合の小橋戦など。ノア時代からは、他団体選手との対抗戦・交流戦、年間年間最高試合の小橋戦、ノア次世代担い手と激闘のGHC戦などを紹介します。
出演 三沢光晴さん プロレスリング・ノアの選手達

>>>あやうく見逃すとこだった、一週間遅れたが、・・・やってくれるだけいいけど。

>>>見たかったけど、改めてその不在を確定されるようで、見るのが辛いなあ、・・・・・。






























KYTはフォローしなかったようだ。
三沢さん、裕次郎さん、マイケル、・・・・。

永田「正面から受け止めてくれた」、曙「ゆっくり休んでください」=ノア
7月4日22時4分配信 スポーツナビ

6月13日に開催されたプロレスリング・ノア広島大会の試合中に倒れ、頚髄(けいずい)離断により46歳の若さで亡くなられた故三沢光晴さんを悼む「三沢光晴お別れ会?DEPARTURE?(献花式)」が4日、ノア旗揚げの地である東京・ディファ有明で行われた。
 来賓開場時間になると各界の関係者が多数詰めかけ、報道陣の囲み取材に応じた。新日本プロレスの永田裕志は、ZERO?ONE旗揚げ戦の際に三沢さんと対戦したことが脳裏に焼きついており、「正面から構えて、受け止めてくれた」とリングで対峙した時のことを思い返していた。WRESTLE?1の舞台で対戦したことがある曙は「どんな技をやっても立ち上がってきた」と三沢さんのタフネスぶりに舌を巻き、「さみしい。ゆっくり休んでください」と故人を偲んだ。
 また、同世代の盟友ともいえる蝶野正洋は「あまりにも突然すぎる。夢の中でしか会えないのが現実……プロレス界で、とても大事な選手だった」と静かに語り、三沢さんのモノマネで知られるイジリー岡田さんは「男の中の男でした。ゆっくり休んでください」とあふれ出る涙をぬぐいながら口にした。
【関連記事】
・ 三沢さんお別れ会フォトギャラリー
・ 2万5千人のファンが三沢さんに献花、終了後も列は途絶えず=ノア
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・ 三沢さんお別れ会に蝶野ら関係者が多数参列、最後のリングコールも=ノア
・ 北斗「三沢さんの笑顔しか知らない」、藤波「シングルで戦いたかった」=ノア
最終更新:7月4日22時4分

沈黙破った小橋…三沢さんのプロレス道継承を
6月23日7時10分配信 スポニチアネックス

ノアは22日、三沢光晴さん(享年46)が試合中の事故で亡くなってから初めて、聖地・後楽園ホールでの大会を開催した。館内には献花台が設置され、試合開始前には1分間の黙とうをささげ、集まった2100人のファンが三沢さんへのお別れをした。試合後には沈黙を守っていた小橋建太(42)が、三沢さんの「プロレス道」を継承することを誓った。今後は看板選手としてノアを背負っていくことになる。
 試合後の控室で、小橋がやっと重い口を開いた。「斎藤も三沢さんも全力で戦った結果。誰も責められない。三沢さんは追いかける目標で、とても大きな存在だった」。目を真っ赤にしながら、絞り出すような声で話した。
 試合開始前には小橋のほか、三沢さんの遺影を持ったジョー樋口GHCタイトル管理委員長、百田副社長、田上、小川がリング上に並び、リング下には秋山ら選手たちがうつむきながら顔をそろえた。1分間の黙とう。時折、女性のすすり泣きと嗚咽(おえつ)が漏れる。三沢さんのテーマ曲「スパルタンX」が流れると、絶叫に近い三沢コールと拍手がわき起こった。
 試合ではマシンガンチョップ51発を含む86発のチョップを繰り出すだけにとどめた小橋は、モハメドヨネから「小橋!」とマイクを突きつけられても、リングでファンに両手を上げてアピールするだけ。試合後、小橋は「全試合終了してから話そうと思った。三沢さんとの思い出はいっぱいあって答えられない」と声を詰まらせた。
 三沢さんの突然の死は小橋にとって受け入れ難いショックだった。06年6月に腎臓がんの手術を受けた時も、昨年9月に両ひじと両ひざの手術を受けた際にも「しっかり治してから復帰しろ」と励ましてくれたのは三沢さんだった。だが、そんな三沢さんはもういない。
 試合後、無人のリングに何本もの緑の紙テープが投げ込まれ、三沢コールと拍手が続いた。温かい歓声を聞きながら小橋は「これまでのプロレス、三沢さんのプロレス道をまい進したい。前に行くしかないし、進んでいかないといけない」と決意を新たにした。もう悲しんでいる暇はない。小橋には、亡き三沢さんに代わる看板選手としてノアを背負っていく責任がある。
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・ 反響WBC以上…三沢さん特集号1日で完売
最終更新:6月23日7時10分

>>>三沢さん追悼番組(日テレ系7/5の予定)は系列のKYTではなかったようだが、ニュース・ワイドショーでそれなりにやってくれたので文句は言わない、言うもんか、・・・・・・・・・・。

>>>「ワールドプロレスリング」での潮崎と杉浦の試合後のコメントにそれぞれの三沢さんへの想いが滲み出ていて、・・・・・・。























日テレは最低限はフォローしてる。
「人は失わざるモノを失った時は変らざるをえん。」

さらば三沢光晴さん…密葬に200人参列
6月20日8時0分配信 スポーツ報知

 さらば、三沢光晴?。13日に試合中の事故で急逝したプロレス団体ノア社長で、プロレスラーの三沢光晴さん(享年46歳)の密葬が19日、東京・中野区の宝仙寺で営まれ、東京・新宿の落合斎場で荼毘(だび)に付された。近親者だけによる葬儀にもかかわらずノア選手を含め約200人が参列。リング内外で愛された故人との別れを涙で惜しんだ。ファンには22日の東京・後楽園ホール大会で報告される。
 愛する家族とノア選手らに見守られ、三沢さんの魂が天国へと旅立った。午後0時11分。かつてパートナーを組んだ小橋建太、田上明、歴代付け人ら約10人にかつがれ出棺。声を上げて泣く女性や「みさわぁ?っ!」と2度絶叫する男性も。最後の対戦相手の斎藤彰俊(43)は目を真っ赤にはらし、佐々木健介(42)、北斗晶(41)夫妻は号泣。健介は出棺後もしばらく放心状態だった。
 宗派が浄土真宗のため戒名にあたる法名は「釋慈晴(しゃくじはる)」。慈愛に満ち、人望の厚かった故人をしのび付けられた。遺族の意向で密葬となり弔辞も弔電もなかった。だが、参列者は200人を超えた。ノアの百田光雄副社長(60)は「人に好かれる性格が人を集めたと思う。おおらかな故人らしく、とても安らかな感じの寝顔でした」と話した。
 長男・康真さん(しずま、17)が抱いた遺影はノア旗揚げの2000年ごろのもの。基調としていたエメラルドグリーンのレーシングスーツ姿で、満面の笑みだったという。祭壇にはウルトラマンや仮面ライダーなど生前のフィギュアのコレクション約30体が供えられた。康真さんが自宅から持参したもので、ひつぎにも試合のタイツとともに納められた。
 出棺時には喪主の真由美夫人(42)に代わり、長女・楓さん(20)が「生前、父が大変お世話になりました」とあいさつ。三沢さんは落合斎場で荼毘に付された後、午後3時半ごろ、東京・世田谷区の自宅に数週間ぶりに帰った。
 壮絶な最期を遂げ、永眠についた三沢さん。後任の社長は未定で、ノアでは25日に予定していた役員会を23日に前倒しして話し合う。
 ◆お別れ会 三沢さんのお別れ会「DEPARTURE(献花式)」が、7月4日に東京・江東区のディファ有明で行われることが19日、ノアから正式発表された。一般受け付けは午後2時からで、参列者には献花用の花を持参するよう呼びかけている。
 【関連記事】
秋山、北斗さんらが最後の別れ…三沢光晴さん通夜
リング禍再発防止へ「統括機構」…自民がプロレス3団体に設立要請
武藤、馳議員ら出席、三沢さん死亡で意見交換
初代タイガーが三沢さんの遺志継ぐ
三沢光晴 、 プロレス団体 、 宝仙寺 を調べる
最終更新:6月20日8時0分

メジャー3団体一丸!年内にも「プロレス協会」設立
6月19日7時4分配信 スポニチアネックス

ノアの三沢光晴さん(享年46)が13日に試合中の事故で亡くなったことを受け、自民党の文部科学部会・文教制度調査会の合同会議は18日、ノア、新日本、全日本の関係者を招いて意見交換を行った。ノアの仲田龍取締役統括本部長、新日本の菅林直樹社長、全日本の武藤敬司社長は再発防止へ向け、統一コミッションを兼ねた「プロレス協会」の年内設立へ動くことを明言した。なお、三沢さんの通夜がこの日夜、都内の寺院で営まれた。
 三沢さんの不慮の死がプロレスメジャー3団体を動かした。自民党の渡海紀三朗文教制度調整会長、元プロレスラーの馳浩文部科学部会会長が発起人となった合同会議は「格闘技興行における事故死について」と題し、3団体の幹部と意見交換を行った。「6月18日は三沢さんが生きていれば47歳の誕生日。あらためてお悔やみする」とあいさつした馳議員は、「プロレス業界として統一された協会、コミッションがない。最低のルールづくりをしてほしい」と要望。日本プロボクシング協会を例に挙げ、選手の資格や健康管理、出場停止制度、講習などコミッション的な役割も持つ「協会」設立を要望した。
 3団体は既に、選手のデビューのレベル、レフェリーの技術交流などを目的とした統一の「ライセンス委員会」設立を計画していた。今年3月から月1回、各団体の事務所で会議を重ね、24日にはノア事務所で最終会議を予定。委員会のロゴも準備され、7月に正式発表するはずだった。しかし、三沢さんの死と馳議員の提案により、さらに役割を増やした統括団体の必要性に迫られることになった。全日本の武藤社長は「統一的な機構ができるか考えたい」と協会設立へ前向き。ノアの仲田取締役は「ライセンスをつくる方向で話し合いをしていたが、早急に協会をつくることにシフトして3団体で協議したい」と年内設立へ向けた準備を明言し、新日本の菅林社長も「協会をつくる方向で進んでいくと思う」と賛同した。
 プロレス界をまとめる組織づくりを推進していたのが、亡くなった三沢さんだった。まずは3団体で協会を設立し、その後マイナー団体へ“加盟”を働きかけることになりそうで、仲田取締役は「三沢の遺志である、統一した協会をつくらなければいけないと思う」と決意を口にした。
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最終更新:6月19日7時38分

齋藤の自宅に心なきファンが悪質嫌がらせ
6月18日9時27分配信 デイリースポーツ

 13日・広島大会で三沢さん最後の対戦相手となった齋藤彰俊に対し、心ない一部のファンから齋藤の妻子が住む愛知県の自宅に悪質な嫌がらせ行為のあったことが17日、分かった。ノアの仲田龍統括本部長が都内で明かし「レスラーは覚悟して戦っている。誰が最後の相手になってもおかしくなかった。(三沢さんの)遺族も齋藤選手を励ましていた。三沢も天国で悲しむ」と訴えた。
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最終更新:6月18日10時31分

臓器移植推進に尽力、急死の三沢光晴さんに感謝状贈呈へ
6月17日15時11分配信 読売新聞

プロレスの試合中に頭などを打ち、13日に死亡したプロレスラーの三沢光晴さんは、約10年間にわたり臓器移植の推進に尽力してきた。
 NPO法人「日本移植支援協会」は、来月上旬に予定されているお別れの会で、三沢さんに感謝状を贈ることにしている。
 同協会の高橋和子事務局長によると、三沢さんは、先輩プロレスラーのジャンボ鶴田さんが2000年、肝臓移植中に死亡したことをきっかけに、臓器移植に関心を持ち始めた。同協会のトークショーに出演したり、会報の表紙に登場したりする一方、三沢さんが社長を務めていた「プロレスリング・ノア」主催のプロレス興行会場では、移植患者への募金や臓器移植の普及啓発活動を支援した。
 同協会は、米国などに渡航して移植を受ける患者の募金活動を支援している。高橋事務局長は「三沢さんは、いつも温かく支援してくれた。亡くなられて本当にショックだ」と話している。
最終更新:6月17日15時11分

仁志、三沢さんの曲に…
6月17日9時31分配信 デイリースポーツ

 「横浜0-1オリックス」(16日、横浜)
 仁志が13日に急死したプロレスラー、三沢さんの入場曲「スパルタンX」を出ばやしに打席に入った。「ぐっと来るものがあったね」と涙をこらえながら打席に立つも、結果は遊ゴロ、犠打の1打数無安打。不完全燃焼に終わったが、「火がついた気がするよ。いつかヒーローインタビューで流したい」と約束した。

よみがえる三沢さん名勝負…日テレで追悼特番
6月17日7時13分配信 スポニチアネックス

3月いっぱいでノアの地上波放送を打ち切った日本テレビが、13日に急死した三沢光晴さん(享年46)の追悼番組を放送することになった。7月5日午前1時半から地上波の1時間枠で「プロレス界の盟主 三沢光晴 緊急追悼スペシャル」と題し、生前の雄姿をしのぶ。同局宣伝部は「地上波での放送は打ち切りになりましたが、社内でデビュー当時からの映像をもう一度、ファンの方に見てもらおうという声が大きかった」と説明。三沢さんの全日本入門時の初々しい姿から、数々の名勝負をダイジェスト形式で振り返る内容になるという。中でも当時エースだった故・ジャンボ鶴田さんとの90年のシングル対決、三冠ヘビー級王座を懸けて死闘を演じた92年のスタン・ハンセン戦など、ファンの間で今も語り継がれる名勝負がよみがえる。
 CS放送でも13日の広島大会が録画中継(スカパー301 サムライTVで17日午後11時から放送)される。頭部を強打した三沢さんの試合の模様はノア側と協議した結果、カットされることになったが、試合前に収録した三沢さんのインタビューと入場からコールまでは放映される。
 さらに14日に行われた福岡・博多大会の追悼セレモニーが録画中継(スカパーe2 ch804で20日午後11時から放送)されることも決定。老若男女から絶大な人気を誇った三沢さんだけに反響を呼びそうだ。
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>>>粛々と追悼は続く。

>>>最大級の不幸を逆に転機にすべく、統一機構の整備に入った。これで少しは良くなると思うが、あえてそうでない場合は、・・・・。

>>>ライセンス問題はあとは事務的な詰めだが、更なる問題はプロレスが今後生き残れるかどうかということで、一応世間的にはスポーツの括りで扱われることになった。八百長の芸能なら不幸な事故ということで処理されたハズだ。

>>>ただ、生活のかかった興行の問題は深刻だ。不幸中の幸いでメジャー団体(世間的にはマイナー)は協調関係にあるけど、客の入る日程つーのは決まっていて後楽園ホールの取り合いになるんじゃないか?そこら辺の調整は関係者でもないので知らないが。

>>>また、タッグリーグ企画とかのイベントの時期がバラバラで、なんか業界イメージが散漫。かつては年末にやるというのが恒例だったが(二団体時代の産物)、あれって結構盛り上がったもんだ。もっとも、「あれは最強タッグのぱくり」とか言われてたが。

>>>一番個人的に気にしてるのは、仮に統一機構が出来ても(これで動かねばオシマイだ)プロレスつーのはマイナー指向なので、絶対、非加入・非認可(ハッスルとかの扱いは?)の団体が出来るハズで、それすら売りにすると思う。そんな非加入団体のマスコミ上の扱いは?週プロとか読んで思うのだが、肉体を酷使する団体と着ぐるみプロレスを同じカラー記事で扱うのはなんか気持ち悪い。せめて非加入団体は白黒ページに押し込めるくらいの区別が必要、野球マスコミはプロと社会人野球ときっちり区別してるし、扱いも段違い。

>>>マイナー気質のプロレスマスコミがもはや見世物レベルの団体まで扱い、情報も載せるから生き残ってると思う。しかも、メジャー団体と料金はそんなに変わらない、客を舐めてないか?そんな団体消えろとは言わないが自然淘汰して欲しい。

>>>あ?あ、なんかプロレス厨みたいな文章になった、まだ私はおかしい。














































































































それでも人は生きていく。
せめて残骸を集めて、

三沢さん、年内引退決意していた
6月16日9時37分配信 デイリースポーツ

13日の広島大会後に死亡したノアの選手兼社長、三沢光晴さん(享年46)が“引退デー”を決めてリングに上がっていたことが15日、明らかになった。三沢さんが全日本に入団(81年)して以来の盟友で、00年のノア旗揚げ後は“参謀”的な役割を担ってきた仲田龍・取締役統括本部長(47)が証言した。年内引退の意向を固め、実業家として第2の人生設計に着手していた矢先だったという。その志半ばで無念の死を迎えた。親族による密葬は今週中に営まれ、ファンと故人をしのぶ「お別れ会」は近日中に開催日を発表予定だ。
 沈黙を守っていた仲田本部長がこの日、初めて口を開いた。三沢さんと最後に会ったのは今月9日の静岡・沼津大会で、控室で「三沢引退」へ向けた具体的なプランを話し合ったという。
 三沢さんは年内にも現役引退の意向を固め、第2の人生へ向けた起業計画も進められていた。“引退デー”については同本部長と真由美夫人(42)の2人が聞いていたそうだが、「いつかは言えない」とした。
 だが、引退を決断しても、すぐにリングを去ることは許されなかった。3月に日本テレビの地上波放送が打ち切られるという厳しい台所事情も背景にあり、体にムチ打って“残り火”を燃やした。その矢先に惨事を招いてしまった。
 28年間のリング生活は体をむしばみ、頸椎(けいつい)の損傷は慢性化。最近は肩、腰も悪化し、体力の限界を感じていたそうだ。同本部長は80年から全日本でリングアナウンサーを務め、翌年入団した三沢さんとは公私ともに深いきずなで結ばれ、ノアを興した盟友。今年8月で旗揚げ10年目を迎えるが、同本部長は「だれが悪いのかといったら自分。10年で辞めさせてあげる環境をつくれなかった。残念です」と遺影に語りかけた。
 旗揚げ時からエースの小橋が両ひざ手術を繰り返し、腎臓がんにも侵された。“No.3”格の秋山にも持病があり、その分、三沢さんに負担がかかった。参謀役も打つ手がなく「もうちょっとと、無理をお願いした」と無念の思いを吐露。13日に広島から一報を聞いた際は「そんなことはない」と現実を受け入れられなかったが、翌朝、広島市内の病院に直行して無言の再会。「笑っている顔に見えた」と言う。
 三沢さんは引退選手のことも考えての起業プランを練っていた。既に実行に移す段階にきていたそうで、本人は「引退ツアーとかはやらない」と断言し、実業に専念することを楽しみにしていたという。同本部長は「自分が必ず実現していきます」と、遺志を全うする考えを強調した。
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・ CS放送「G+」で三沢さん追悼番組
最終更新:6月16日10時0分

過酷極める中小企業社長業…三沢光晴さん急死
6月15日16時57分配信 夕刊フジ

13日の試合中に頭を強打して亡くなった人気プロレスラー、三沢光晴さん(享年46)の所属団体「プロレスリング・ノア」は、事故翌日の14日も福岡市内で予定通り興行を開催した。社長兼看板レスラーの三沢さんの立場は、プロ野球のプレーイングマネジャー(選手兼監督)を上回る過酷な重職。とりわけ、今年3月にテレビ地上波中継を打ち切られてからは金策に頭を痛めていたという。「不況下で苦悩する中小企業の社長さんさながら」との指摘も聞かれる。
  [フォト]リングサイドの三沢光晴さんの遺影に向かい土下座する斎藤彰俊
 大黒柱の三沢さんが亡くなったのは13日、広島での試合中。ノアの一行は14日に福岡へ移動し、ボウリング場を併設する「博多スターレーン」に観客2600人(超満員=主催者発表)を集めて追悼興行を敢行した。
 あの力道山の次男である百田光雄副社長(60)は「開催に踏み切った一番の理由は、三沢社長自身が満身創痍の状態でも必ずリングに上がってくる人だったから。我慢強く、泣き言や自分のけがのことを一切口にしなかった。選手全員で話し合い、その三沢社長の遺志を継ぐ意味でも、決行すべきとの結論に達した」と説明した。
 「満身創痍」は決して大げさではない。特に、三沢さんが首に“爆弾”を抱えていたのは周知の事実。一昨年1月に途中から試合の記憶をなくすほどの激闘を演じ、試合後に直行した病院で「頚椎(けいつい)ねんざと脳しんとう」と診断されたことも。事故が起こった当日も「肩がきつい」と漏らしていたという。
 それでも看板レスラーの宿命で、おいそれと欠場するわけにはいかなかった。プロレス界全体を見渡しても、ジャイアント馬場さん(享年61)がこの世を去り、アントニオ猪木も第一線から退いた今、三沢さんは残された数少ないスターのひとりだった。
【TV地上波打ち切られ】
 社長業の心労も重なった。1999年にジャイアント馬場さんの死去による内部抗争に伴い、全日本を脱退した三沢さんが2000年7月に旗揚げしたノア。資本金1000万円で従業員は30人という企業だ。
 日本では米国で大人気のWWEのように株式を上場している団体はなく、全日本、新日本とともに「メジャー」と呼ばれるノアでさえこのような中小企業。他の団体は、零細企業といっていい。かつてのプロレス人気に陰りが見える中、三沢さんはこの不況下で苦しむ一般の中小企業の社長同様、金策に必死だったという。
 今年3月、日本テレビがノアの地上波中継を打ち切った。現在はCS放送の「日テレG+」と「サムライ」が中継しているが、「放映権料が年間1億5000万円とも2億円ともいわれた地上波に比べると、CS放送のそれは微々たるものでケタ違い。三沢社長は大幅な収入減に頭を抱え、体調が悪いとも漏らしていた」(プロレス関係者)といわれる。
 日テレ関係者が、その経緯をこう説明する。「ウチは昨年9月の中間連結決算で赤字に転落してから、『費用対効果』を旗印に思い切った経費節減を断行しています。巨人戦のナイター中継を減らし、メジャーリーグの放送権からは手を引きました。ノアの地上波打ち切りも同じ流れの中にある」。100年に一度という不況が、日テレの財政を圧迫。間接的に中小企業のノアを資金難に陥らせたという構図だ。
【死因は頸髄離断】
 くしくもこの日、ノアの会場と同じ福岡市内にあるヤフードームで、巨人がソフトバンクと戦っていた。球界きってのプロレスファンとして知られる原監督は試合前、「組織をまとめる上で、自分のことだけを考えてはいられないという意味で(社長と監督には)相通ずるものがある。断腸の思いで天国へ行かれたのだと思う。何度も面識があったわけではないが、同世代の男として尊敬する人物」と三沢さんの死を悼んだ。
 広島中央署の調べによると、死因は頭部を強打したことによる「頸髄(けいずい)離断」と判明。事故直後に心肺停止状態に陥り、蘇生処置のかいなく、帰らぬ人となった。満身創痍ながら看板レスラーとして“強行出場”してきたことや会社経営の心労が命を縮めた可能性もある。
 サラリーマン諸氏、特に中小企業の社長さんには、何とも身につまされる話ではある。
 ■プロレス界の現状 かつての「新日本」と「全日本」時代から一変。1999年ジャイアント馬場死去による内部抗争で、三沢が全日本から脱退し、「ノア」を立ち上げ。新日本を解雇された橋本真也(故人)が「ZERO?ONE」を結成し、メジャー4団体時代となる。また、米国で人気の「WWE」が日本でも受け、その影響を受けたエンターテインメント志向が強い「ハッスル」などが興行されている。そのほか、「みちのく」「大阪」など大小40団体以上が活動している。
 ■三沢さんの死亡事故 ノア広島大会(13日、広島県立総合体育館グリーンアリーナ)のメーンイベント、GHCタッグ選手権に潮崎豪とのタッグで出場。第17代王者・斎藤彰俊、バイソン・スミス組に挑戦した。開始から25分過ぎ、斎藤の打撃を受けた三沢さんは、さらに急角度のバックドロップを浴び、頭部をマットに強打。そのまま意識を失った。専属トレーナーが心臓マッサージを繰り返し、医師が、自動体外式除細動器(AED)で蘇生を試みた。すぐに救急車で、広島大学病院(広島市内)に搬送されたが、午後10時10分、死亡が確認された。
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最終更新:6月15日16時58分

大阪プロレスのレフェリー、テッド・タナベさんが死去
6月15日15時25分配信 オリコン

 14日から意識不明の状態に陥っていた大阪プロレスのレフェリー、テッド・タナベさんが15日午後12時23分、搬送先の病院で死去した。46歳だった。同社公式サイトでは「永きに渡り、プロレス界の裏側を支え、多大なる貢献をされたことを偲び、心よりご冥福をお祈りいたします」とコメントを掲載、詳細は判明次第、追って報告するとしている。
 プロレス界に再び衝撃が走った。13日に死去したプロレスリング・ノア社長兼プロレスラーの三沢光晴さんの悲報に続き、今度はタナベさんが帰らぬ人となった。公式サイトによると、タナベさんは14日の大阪ミナミ ムーブ・オン アリーナ大会の試合終了直後に突如、意識不明の状態に陥ったという。
 14日付のサイトでは「心臓マッサージ、人工呼吸、AEDなどの措置を行い、大阪市内の救急病院へ搬送されましたが、現在も意識不明の状態となっております。只今、検査中で病院からの結果を待っている状態となっております」、翌15日付では「6:42現在、未だ意識不明の状態が続いており、大阪市内の病院にて医師の治療を受けております」と経過が報告されていた。
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最終更新:6月15日15時30分

<三沢光晴さん>死因は頸髄損傷 広島県警
6月15日11時51分配信 毎日新聞

 ノア社長でプロレスラーの三沢光晴さん(46)が13日に広島市中区であった試合中に死亡した事故で、死因が頸髄(けいずい)損傷だったことが広島県警広島中央署への取材で分かった。
 三沢さんは13日午後8時半ごろ、県立総合体育館であったタッグマッチの最中にバックドロップを受けて頭を強打し、同10時10分に広島大学病院で死亡が確認された。【星大樹】
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最終更新:6月15日13時5分

三沢さんの最後の対戦相手・齋藤が涙の土下座=ノア
6月15日0時31分配信 スポーツナビ

プロレスリング・ノア三沢光晴さんの急死から一夜明けた14日、福岡・博多スターレーンに超満員となる2600人のファンを集めて「Southern Navig.’09」が開催された。ファンは声を枯らして応援し、選手も悲しみを振り払うように懸命に戦い抜いた。
 第2試合には前日のGHCタッグ選手権で三沢さんの最後の相手を務めることになってしまった齋藤彰俊が登場。あふれ出る涙をこらえきれず、号泣しながら試合に臨んだ。
 入場口に姿を現した齋藤の顔は、すでに泣きじゃくっていた。責任を痛感し表情は疲れきっているものの、それでも気丈に振舞おうと涙をこらえ、リングに向かう。そんな齋藤の姿に、会場からは大きな「アキトシ」コールが。「彰俊泣くな!」「がんばれ!」とファンも涙声で必死に声援を送り、齋藤も何より三沢さんのために最後まで歯を食いしばって戦い抜いた。
 試合後、齋藤はリング上から本部席の三沢さんの遺影に向かって涙の土下座。ファンも痛いほど齋藤の気持ちは分かっており、拍手と歓声がいつまでも鳴り止まなかった。
 バックステージで齋藤は「取り乱してすみません。泣いている場合じゃないんですけどね」とコメント。そして「自分はどんなに重くて大きい十字架でも背負って、前進して、精進していきます!」と力強く天国の三沢さんに約束した。

三沢さんの死因に関して百田副社長「家族以外には不明」=ノア
6月14日20時41分配信 スポーツナビ

14日開催のプロレスリング・ノア博多スターレーン大会開始前に、同団体副社長の百田光雄が13日に急死した三沢光晴さんについてコメントした。
 まずシリーズ中での悲劇とあり、今大会を含め中止も検討されたのではという問いには「三沢社長は常に満身創痍でやっていた。選手全員と話して『決行するべきでは』となった。三沢社長も(中止は)望んでいない」と強行開催に至る経緯を語った。そして、死因に関しては「僕たちも医師から『不明』としか伝えられなかった。検査した結果、脳や頚ついにも損傷はないという話しを聞いた。ただ、医師からは『家族以外には死因は説明できない。たとえ会社の方にも説明はできないので、家族の方に説明します』と言われました。したがって会社の人間は、医師の方から一切死因に関しての説明は受けておりません」とコメントした。
 三沢さんがこのような事態になる予兆はあったのかについては、「基本的に我慢強くて泣き言は言わなかった」としながらも、「多少『肩がキツイ』と言っていた」とかすかな異変はあったようだ。
 なお、遺体はすでに東京に移送されており、葬儀は家族の意向により選手・近親者による密葬となる予定。ただ、ファンにはあらためてお別れを言う場を作りたいと語った。

三沢さんの遺影とともに献花台を設置=ノア
6月14日16時45分配信 スポーツナビ

プロレスリング・ノアの三沢光晴さん急死から一夜明けた14日、予定どおり大会が行われる福岡・博多スターレーンの会場の一角には、三沢さんの遺影とともに献花台が設置された。多くのファンが涙を浮かべながら花束をたむけ、故人を偲んだ。

プロレスリング・ノア声明「故人の意思を継ぎ、選手・社員一同邁進」
6月14日14時58分配信 スポーツナビ

三沢光晴さんの死亡から一夜明けた14日、プロレスリング・ノアは「ご報告」と題したファックス文書にて声明を発表した。
 声明の全文(原文ママ)は以下のとおり。
■ご報告
 弊社代表取締役 三澤光晴儀、6月13日永眠いたしました。
 多くの皆様より頂戴しておりますご厚誼に深く御礼申し上げます。
 いかなる時も全力で試合に臨む故人の意思を継ぎ、今後とも選手・社員一同邁進してまいります。
 ご声援のほど重ねてお願い申し上げます。
 2009年6月14日
 株式会社プロレスリング・ノア

川田、永田らレスラー仲間ショック…三沢光晴さん急死
6月14日8時0分配信 スポーツ報知

 「まさか…」「信じたくない」?。13日の試合で頭部を強打し死亡したプロレスラー・三沢光晴さん(46)。突然の悲報に、同僚レスラーや親交のあったマット界関係者は一様に言葉を失った。
 初代タイガーマスクとして活躍した格闘家の佐山サトルさんは「プロレスの結晶が、また消えてしまった」と語る。昨年の12月に2代目である三沢さんと初めての「タイガー対決」が実現。「今から思えば、それがせめてものこと。2人とも年をとって体も重くなってしまっていたが、でもまだまだやれると確認し合ったばかりなのに…」
 足利工大付高レスリング部の後輩で、三沢さんがノアを旗揚げした際には、全日本に残留して団体を支えた川田利明(フリー)は「信じたくないし、信じられない。それしか言えないです」と言葉少な。
 マット界では三沢さんの下の世代にあたり、ノアとの交流戦という扉を開いた、新日本の永田裕志は「突然のことで、言葉も出ません」と言うのがやっと。「今年の東京ドーム大会の前日、1月3日に、東京ドームホテルでごあいさつさせて頂いたのが最後でした。ただただ悲しみがあふれるばかり…。きょうはこのくらいで勘弁して下さい」
小島「言葉出ない」 全日本の小島聡は「急なことでビックリしてしまって言葉が出てきません。ご冥福をお祈り致します」。新日本の中邑真輔は「1月4日に戦ったのが最後。ノアの試合に参戦するときは、ノア=三沢さんだという気持ちでやってきました。ノアの最後のとりででした。目標にやってきただけにとても残念です」と、無念そうに語った。
 K?1プロデューサーの谷川貞治氏は「言葉が浮かんでこない」と、ぼう然。「経営者として同じ立場の人間としてみていた。地上波の打ち切りなど、いろんな問題があったと思う。心労も重なって、気持ちは痛いほど分かる。本当に残念」とした。
 今回の悲劇で大きな危機を迎えることになるプロレス界。佐山氏は「それだけハードで過酷な世界だということ」としながらも、「ここでプロレスを終わらせたらいけない。その責務を痛感しています」と強調した。
 ◆きょう新日本・後楽園大会で10カウント 蝶野は無言… 三沢さんと同世代でプロレス界をけん引してきた新日本プロレスの蝶野正洋(45)はコメントを差し控えた。関係者によれば三沢さんの悲報にショックを隠せないようだったという。14日には新日本の東京・後楽園ホール大会があり、10カウントゴングの黙とうが行われる予定で、6月シリーズ不参加の蝶野も来場して三沢さんの冥福を祈るという。
 ◆三沢さんの得意技 打撃系はエルボーパット。回転式、マシンガン式、ダイビング式などバリエーション豊富で、三沢さんの攻撃力を支えた。投げ技の代表格はエメラルドフロウジョン。相手をボディースラムの体勢で右肩に抱え上げ、脳天から突き落とす。これを改良したのが、ブレーンバスターの体勢から抱え上げ、同じ形で突き落とす変形エメ・フロ。落差が増し、より破壊力が増す危険な決め技となった。このほかタイガーマスク時代に編み出したタイガードライバー(相手を空中で一回転させてから背中からマットにたたき付ける必殺技)も有名。高い身体能力を生かしたフライング・ラリアット、エルボー・スイシーダの飛び技も破壊力十分だった。
 ◆三沢さんのプロレス人生
▽1962年6月18日 北海道・夕張市生まれ。
▽81年3月 全日本プロレスに入門。
▽8月21日 同期の越中詩郎との戦いでプロレスデビュー。
▽10月 シングル戦初勝利を果たす。
▽84年7月 遠征先のメキシコから極秘帰国後、2代目タイガーマスクに。
▽8月 ラ・フィエラとの一戦で“タイガーマスクデビュー戦”で見事勝利。入場曲は「スパルタンX」。
▽85年8月 NWAインターナショナルジュニアヘビー級王座を獲得。初のシングル王座に。
▽86年11月 世界最強タッグ決定リーグ戦にジャイアント馬場とのタッグで初出場。
▽88年5月10日 結婚。同時にタイガーマスクの正体を公表する。
▽89年3月 NWA世界ヘビー級王座戦で敗戦。左ひざのけがが深刻化し、手術を受けるために長期欠場。
▽90年1月 リングへ復帰する。
▽5月14日 冬木弘道(故人)らとの試合で、執拗(しつよう)にマスクをはぎ取られそうになり、自らマスクを取って突進。素顔に戻る。
▽92年8月 ハンセンとの3冠統一ヘビー級王座を奪取。第10代王座に就く。
▽99年5月 全日本プロレス社長に就任。
▽2000年6月 全日本プロレスに退団届を提出。
▽7月7日 三沢さんがつくった新団体を「株式会社プロレスリング・ノア」として登記。
▽8月5日 ディファ有明で旗揚げ戦開催。
▽01年4月 初代GHCヘビー級王者に。
▽07年12月10日 初のプロレス大賞・最優秀選手賞を受賞。
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最終更新:6月14日8時0分

<プロレスラー>三沢光晴さん、試合中倒れる 心肺停止状態
6月13日22時1分配信 毎日新聞

 13日午後8時半ごろ、広島市中区基町の広島県立総合体育館であったプロレスリング・ノア広島大会で、試合中にノア社長でプロレスラーの三沢光晴さん(46)が倒れ、救急搬送された。広島市消防局によると、三沢さんは心肺停止状態。県警広島中央署は主催団体や対戦相手などから事情を聴いている。
 大会関係者や観客によると、三沢さんはこの日タッグマッチに出場。相手のバックドロップを受けて頭を強く打ち、動けなくなった。レフェリーが三沢さんに「動けるか」と聞いたが、三沢さんは「動けない」と答えた。試合はそのまま中断。観客の医師が自動体外式除細動器(AED)で蘇生を試みたという。当時、約2300人の観客がいた。
 三沢さんは全日本プロレスリング在籍中の80年代に2代目タイガーマスクとして人気を集めた。
 観客の看護師、竹本麻紀さん(31)=東広島市=は「子どものころからプロレスが好きでよく見に来ていた。まさかこんなことになるなんて。早く元気になって帰ってきてほしい」と涙を流しながら回復を祈っていた。【加藤小夜、星大樹】
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感謝状:日立市消防本部、人命救助の3人に /茨城
最終更新:6月13日23時4分

>>>ブロディの時は唐突だった、馬場さん、鶴田さんの時もそう。
橋本さんの時は直前にトラブルが多発してたので、大丈夫かな?と思っていた。

>>>三沢さんの試合はTVでしか見てないけど、超世代軍の時からすれば1/4ドームの時はなんて疲れた感じなんだとつぶやいたものだ。

>>>私は個人的にはNOAHは好きでなかったが、三沢さん他選手は好きだった。(その理由とかは別の機会に)
↑にあるように知ってる人間も、知らない人間も身勝手に三沢さんの事を語ってるが、それは虚しいことだ。

>>>週プロでNOAHの試合の過激な技の攻防に「死んでしまう!」と危惧した編集員コラムの言葉が現実になってしまった、・・・・・。

>>>蝶野との第一試合を生で見た橋本さんの死をまだ受け止めきれてない自分に、
ほぼ同世代でカラオケでアニソンを熱唱したり特撮が好きだったと散見する(ネタとして知ってたが、そんなに気にしてなかった)三沢さんの死はまるで旧来の友人を失ったかのような思いすらした。

>>>でも、それでも生者は、輝かしい言葉で死者を追憶の彼方に送り出して、
称えられることもなく、虚しく、惨めに生きていかなくてはいけないのだ。
いつかまた多くの死者と再会するその時まで。

>>>?誰かがどこかで書いた文章のようだが、これしか思いつかなかったことをお詫びします。



























































































































































































どうしたらいいんだ、・・・・・。
・・・・・・・。

<プロレスラー>三沢光晴さん死亡 試合中倒れる 広島
6月13日22時1分配信 毎日新聞

 13日午後8時半ごろ、広島市中区基町の広島県立総合体育館であったプロレスリング・ノア広島大会で、試合中にノア社長でプロレスラーの三沢光晴さん(46)が倒れ、心肺停止状態で広島大学病院に救急搬送された。広島県警広島中央署によると、同10時10分に死亡が確認された。同署は主催団体や対戦相手などから事情を聴いている。
 大会関係者や観客によると、三沢さんはこの日タッグマッチに出場。相手のバックドロップを受けて頭を強く打ち、動けなくなった。レフェリーが三沢さんに「動けるか」と聞いたが、三沢さんは「動けない」と答えた。試合はそのまま中断。「医師はいませんか」との呼びかけに応じて出てきた観客の男性がAED(自動体外式除細動器)で蘇生を試みたという。当時、約2300人の観客がいた。
 三沢選手は栃木・足利工大付高でレスリング部に所属し、81年に全日本プロレスへ入門。84年にマスクマンのタイガーマスク(2代目)となり、人気を博した。90年からはマスクを脱ぎ、本名でファイト。ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田両選手(ともに故人)に次ぐエースとして活躍した。06年に全日本を退団してプロレスリング・ノアを設立し、社長を兼務。受け身のうまさには定評のあるレスラーだった。
 試合会場では、観客の看護師、竹本麻紀さん(31)=東広島市=は「子どものころからプロレスが好きでよく見に来ていた。まさかこんなことになるなんて。早く元気になって帰ってきてほしい」と涙を流しながら語った。広島市安佐南区の男子大学生(20)は「バックドロップで頭を打って意識不明になった。救急隊が長い間、心臓マッサージをしていた。三沢さんは試合中、頭を振る仕草を見せ、調子が悪そうだった。死なないで」と祈るように話した。【加藤小夜、星大樹】
 ◇男子プロレスで死亡、00年に初の事例
 日本にプロレス興行が根付いた1953年以降、国内での試合中の事故が原因で死亡したのは、97年にJWP女子プロレスのプラム麻里子さん(当時29歳)が最初。相手の技を受け、頭部を強打したものだった。男子では00年に、栃木・足利工大付高レスリング部で三沢さんの後輩となる新日本プロレスの福田雅一さん(当時27歳)が同様に頭部を強く打って死亡したのが、初の事例となった。



>>>何も語ることはない、ただ悲しいだけだ。ブログやっててこんなに悲しいことはない。



















































































小ネタ続報。
やっぱマズイと、・・・・。

>>>あのキリヤ監督の「GOEMON」に秀吉の護衛武士役で出演したためチェ・ホンマンは
韓国で「親日派(売国奴)」とバッシングされてるそうな。

>>>新日本プロレスの6/20大阪大会「DOMINION」の大会ポスターは非常にヤバい
微妙に隠してるがナチスをモチーフにしてるし、「SS」マークと「ハーケンクロイツ」をはっきり表示してる、・・・・某XXX人からクレーム必至だと思う。

>>>んで、新日本プロレス公式HP http://www.njpw.co.jp/ ではそのポスターは無くなってます。あ?あ

>>>んで、さらにヤバイのは大阪なので新型インフルエンザの影響で大会開催自体が危ないんじゃないかと?どーすんの。






















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